
こんにちは。
日々の暮らしの中で、ふとした瞬間に「不安」が心に影を落とすことはありませんか。
「これから先、どうなってしまうのだろう」
「自分の選択は、間違っていなかったか」

波のように押し寄せる不安を、私自身、つい
「悪いもの」
として遠ざけようとしていた時期がありました。
浄土真宗の先達の言葉に、このようなものがあります。
「不安が如来(にょらい)」
この言葉は、私に新しい視点を与えてくれました。

私が不安を感じる時、そこには
「こうあってほしい」
という自分自身の強い願いや
知らず知らずのうちに握りしめている
「執着(しゅうちゃく)」が隠れているようです。
「いつまでも若くいたい」
「物事を思い通りに運びたい」
そんな自分中心の「はからい」が
現実という揺るぎない壁にぶつかった時。
その時に現れるのが「不安」という感情なのかもしれません。
そう考えると不安とは
「自分自身の思い込みや執着が揺さぶられている」
そう言い換えることができるのではないか。

「ああ、私はこんなに、自分の思い通りにしようとしていたのだな」
もしかしたら、その気づきこそが人としての
「深まり」や「成長」を促す機会となっているのではないではないか。
阿弥陀如来は、不安という形を通して
「あなたの思い込みを超えた、もっと大きな世界があるのですよ」
と、私たちにサインを送ってくださっている。

もしかしたら、不安を無理に消し去る必要はないのかもしれません。
その不安は私を追い詰めるものではなく
自分自身が新たな一歩を踏み出す「尊いご縁」へと変わっていくのでしょう。

「不安が如来」
という言葉は、そのような意味を含んでいるのではないかと思いました。







