毎日が命日
先日の高田派婦人大会での池田行信先生のお話で
「給食費を払っているのであるから、いただきます、ごちそうさまをする必要はない」
という意見に対し
「毎日が命日である」
とお話されていたことが、とても印象に残りました。
仏教の食事の際の言葉としていろいろ調べましたところ、禅宗では
『五観の偈』
という食事の言葉があることを知りました。
『五観の偈』
一 計功多少 量彼来処 : 功の多少を計り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。
二 忖己德行 全缺應供 : 己が徳行(とくぎょう)の全欠を[と]忖(はか)って供(く)に応ず。
三 防心離過 貪等為宗 : 心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。
四 正事良薬 為療形枯 : 正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。
五 為成道故 今受此食 : 成道(じょうどう)の為の故に今この食(じき)を受く。
略訳
一、この食事がどうしてできたかを考え、食事が調うまでの多くの人々の働きに感謝をいたします。
二、自分の行いが、この食を頂くに価するものであるかどうか反省します。
三、心を正しく保ち、あやまった行いを避けるために、貪など三つの過ちを持たないことを誓います。
四、食とは良薬なのであり、身体をやしない、正しい健康を得るために頂くのです。
五、今この食事を頂くのは、己の道を成し遂げるためです。
以上『Wikipedia 五観の偈』より引用
この言葉を頂くと、世間でよく言われている
「命そのものに対する感謝」
がない印象を受けます。 しかし私は五の
「為成道故 今受此食」(今この食事を頂くのは、己の道を成し遂げるためです)
というところにこそ、仏教の命に対する大切な視点が込められていると思うのです。
「命は大切だ」と連呼するだけでは倫理道徳、娑婆の話です。 仏になるという目的のために、他の命をいただき自分の命を大切にするという 「為成道故 今受此食」 には、単なる「命は大切だ」だけでは終わらせない仏道の厳しさと慚愧があります。
「命日」とは「命の日である」という法話を頂く時があります。 私は 「本願招喚の勅命」 つまり 「如来からの目覚めよとの喚び声、命令と頂くとき」
と味わっております。
潮音寺墓地より西方向。 夕陽に見送られる私。